箱庭

物語にはエンディングというものがあるわけです。そして、RPGというゲームにおいて、プレイヤーキャラクターは普通、ハッピーエンディングを、最終的に幸せになることを目指します。

ここで私が思うのは、箱庭の中の幸せを、果たしてハッピーエンドと呼ぶのかどうか。
箱庭の中には永遠の幸せがあるけれど、一歩外に踏み出せば、そこにある世界が滅びているとして、それを知らずに幸せに暮らしているのを、ハッピーエンドとみなしてよいのか?と。





はっきり言って、賛否両論あるところだと思います。箱庭に行くのは確かに幸せなのかもしれません。箱庭であることさえ知らなければ、永遠に幸せであることが保障されるのですから。

しかしそれは、本当に正しいのでしょうか?
箱庭を選択した、世界を滅ぼす選択をした、そういう事実から目を背けて箱庭の中で幸せに暮らすという行為に、どうしても私は不快感を感じずにはいられません。
自分から選んで箱庭の中にいることそのものが、罪悪であるように感じられるのです。大切な人を救う、という選択としては正しいかもしれないけれど、少なくともそれはハッピーエンドではないだろう、と。





映画「マトリックス」の中では、マトリックスという世界はコンピュータによって作られた、まさしく箱庭でした。(2ではマトリックスの外の世界もやっぱりコンピュータの手の平の上って感じでしたが・・3を見てないのでこのあたりは言及しません)
その中で、登場人物の一人が、マトリックスに戻って、外の記憶を忘れ、箱庭の幸せを取り戻そうとするんですが・・。
彼の行為、絶望的状況下に置かれた人間の行動としてわからなくもないけれど、やっぱり私としてはそれは否定したい。
劇中では彼は失敗しましたが、もし彼が成功してマトリックスの世界に戻って幸せになったとしても、やはりそれはニセモノなんです。
ニセモノと知ってニセモノの幸せを掴むという行為は、やはり否定されるべきだ、と。
少なくともお話の中では、そうあってほしいと思うのです。